東京地方裁判所 平成3年(ワ)7742号 判決 1993年10月04日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
弘中惇一郎
同
鈴木淳二
同
喜田村洋一
同
渡邉務
同
加城千波
被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
富樫博義
同
和久井孝太郎
同
村瀬勝元
同
島田恭一郎
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成三年六月三〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、警視庁所属の警察官らに殺人未遂の被疑者として逮捕された原告が、右警察官らによる護送、連行方法は原告の人権を侵害する違法なものであったとして、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、違法行為による精神的苦痛に対する慰謝料として五〇〇万円及び弁護士費用五〇万円の合計五五〇万円並びにこれに対する違法行為の後で訴状送達の日の翌日である平成三年六月三〇日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事件である。
一争いのない事実
1(原告)
原告は、昭和六〇年九月一一日、殺人未遂の被疑事実により警視庁に逮捕され、その後、同罪名で東京地方裁判所に起訴され、同刑事事件について現在東京高等裁判所で審理中のものである。
2(本件逮捕、護送の経過)
(一) 原告は、昭和六〇年九月一一日午後一一時二六分ころ、東京都中央区銀座にある銀座東急ホテル内において、警視庁所属の警察官若林忠純(若林)に逮捕された。
若林ら警視庁所属の警察官は、原告を警視庁本部に護送するため、翌同月一二日午前〇時ころ、原告を車両(護送車両)に乗せて右ホテルを出発し、時間調整のため港区六本木などをうかいして、同日午前〇時三〇分ころ、千代田区霞が関にある警視庁本部庁舎に到着した。
(二) 右到着のころには、右警視庁付近にはおよそ五〇〇人の報道関係者が集合していた。
若林らは、護送車両を警視庁副玄関入口の手前に停車して原告を降車させ、報道関係者の隊列の中、右降車地点から手錠及び腰なわを付けた原告を副玄関入口まで歩かせた。その間、報道関係者がその状況を撮影し、直ちにテレビ、新聞、雑誌等を通じて右状況が全国に報道された。
二争点
1 原告の護送、連行に当たった若林ら警視庁所属の警察官(本件警察官ら)による右護送、連行方法は原告の人権を侵害する違法なものであったか否か。
(原告の主張)
本件警察官らは、警視庁本部前に報道関係者の撮影準備が整って原告をさらし者として連行する準備ができるまでの間護送車両をうかいさせた上、護送車両を故意に警視庁副玄関入口の約三〇メートル手前で停車させ、右地点から、手錠及び腰なわをつけた原告を引き回すようにしてゆっくりと右入口まで歩かせ、隊列を作った報道関係者が多数の連行写真を撮影することを可能にした。右行為は、無罪の推定を受けるべき被疑者を真犯人であるかのように取り扱い、報道関係者すなわち国民の前にさらし者にすることを目的とするものであって、被拘禁者取扱いに関する国連標準最低規則にも反するきわめて違法性の高いものである。したがって、被告は、警視庁に所属する地方警察職員である本件警察官らがその職務を行うについて故意に原告に損害を加えたことにより、国家賠償法一条一項に基づく責任を負う。
(被告の反論)
本件警察官らは、護送車両により警視庁副玄関入口前のフェンス付近に到着したところ、報道関係者が殺到し護送車両に向けてフラッシュを浴びせたり大声で原告に呼びかけるなどし、また、警視庁庁舎敷地内においてロープ二本による整理線によりフェンス付近から副玄関入口までの通路が確保されていたものの報道関係者がロープを体で圧迫するなどして徐々に通路がせばまってきていたため、そのまま護送車両を進行させたときには報道関係者が右整理線を突破して護送車両を取り囲み騒然とした状態となり、ひいては原告及び報道関係者等の身体等に危害が及ぶなどの不測の事態が発生するおそれがあったため、原告を降車させた上、報道関係者が飛び出すなど原告の身体に不測の事態が生ずることを考慮して原告を取り囲むようにし、周囲を警戒しながら右通路を歩いて副玄関入口まで連行したものである。このような状況の下においては、本件警察官らの原告に対する右取扱いには何ら違法な点はなく、原告の主張は失当である。
2 原告の損害賠償請求権が時効により消滅したか否か。
(被告の主張)
原告は昭和六〇年九月一一日から同月一二日にかけて行われた本件警察官らによる逮捕、護送行為が行われたときには右違法行為の加害者及び損害を知っていたものであるから、国家賠償法四条、民法七二四条により、原告の損害賠償請求権は遅くとも昭和六三年九月一二日の経過をもって時効により消滅している。被告は、右時効を援用する。
なお、民法七二四条の「損害を知りたるとき」とは、損害の発生を了知したときであるが、必ずしも損害の程度又は数額まで了知することを要せず、また、被害者が損害の発生を知った以上、原則として、被害者は、その損害と一体をなす損害でその発生を予想することができたものはすべて知っていたものとして時効が進行を始めるというべきであり、また、国又は公共団体に対する損害賠償請求責任については、被害者が、問題の行為が国等の公権力の行使に当たる公務員としての不法行為であることを知れば加害者を知ったこととなる(昭和三三年一〇月二一日東京高裁判決、下裁民集九巻一〇号二一三七頁)。そうすると、原告は、右護送、連行の際、本件警察官らが公共団体の公権力の行使に当たる公務員であること及び本件行為のされたことを了知していたから加害者を知っていたというべきであり、また、本件護送の状況が報道機関等に写真撮影等されることを知り、右状況が報道されることも当然予想していたから、本件損害の発生も予想していたというべきである。
(原告の反論)
民法七二四条の「加害者を知りたるとき」とは、「加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況の下に、その可能な程度にこれを知りたるとき」をいうのであり(最判昭和四八年一一月一六日民集二七巻一〇号一三七四頁)、相手方の行為が一見して違法行為となるかどうかの判定が困難な場合には、その違法が公的判断によって確定したときに事実上可能な状況が到来したものといえる。
原告は、本件行為が多数の報道関係者の前で堂々と行われたものであったため著しい屈辱感や不快感を感じたものの、これを違法行為といえるとの認識まではなかったが、昭和六二年八月に東京弁護士会に人権救済の申立てを行ったところ、平成三年三月二五日、同弁護士会人権擁護委員会が本件行為は違法であるとの判断をしたものである。そうすると、本件においては、弁護士会人権擁護委員会という公的機関により本件行為が違法であるとの判断がされた右平成三年三月二五日の時点をもって、時効の起算点とすべきである。
第三争点に対する判断
一争点1(人権侵害の有無)について
1 前記争いのない事実、証拠(<書証番号略>、証人若林忠純、同笹森一二、原告本人、検証の結果)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
(一)(原告をめぐる当時の状況)
原告が昭和六〇年九月一一日に逮捕された殺人未遂被疑事件は、妻三浦一美が殴打された事件(いわゆる殴打事件)であったが、原告については、昭和五九年一月ころに週刊誌「週刊文春」による報道がされて以来、右殴打事件のほか、原告が後(昭和六三年一〇月)に殺人罪により起訴されることとなった右一美が銃撃により死亡した事件(いわゆる銃撃事件)などに関連して、マスコミにより一連のいわゆる「ロス疑惑」報道が数多く行われていた。ことに本件逮捕当時は、原告の逮捕が間近であることを予想したマスコミの取材合戦が過熱化し、原告や右「ロス疑惑」関連の報道が連日のように新聞、雑誌、テレビ等をにぎわし、右報道に対して世間の注目が集まっていた。
また、原告は、「ロス疑惑」報道がされるようになって以来、自宅や原告の経営する店舗フルハムロード付近において、報道関係者に取り囲まれて写真やテレビカメラの撮影をされるなどしていた。
(二)(本件逮捕の状況)
(1) 若林は警視庁捜査一課に所属する警部であったが、本件逮捕の行われた前日である昭和六〇年九月一〇日に発付されていた原告に対する殺人未遂被疑事件の逮捕状を執行するため、本件逮捕当日である昭和六〇年九月一一日午前八時ころから警視庁に出勤していた。若林ら本件警察官らは、当初は原告が経営していた店舗「フルハムロード」内において原告を逮捕する予定であったが、原告が右店舗に現れなかったため、原告が右当日滞在していた中央区銀座にある銀座東急ホテルにおいて原告を逮捕することとして、同日午後一〇時三〇分ころ、同ホテルの近くにある三原派出所へ赴いた。
若林は、同派出所から警察官を同ホテルに差し向けて原告の動向を探らせたところ、原告が同ホテルから出るらしいとの報告を得たので、同日午後一一時ころ同ホテルへ向かったが、原告を取材しようとして集合していた報道関係者が同ホテルの裏口へ殺到するのを見て、同様に同ホテル裏口へ向かった。
同裏口には駐車場出入口があり、報道関係者の人垣が出来ていたが、若林が出入口の格子戸のシャッター越しに駐車場内部を見たところ、原告の乗った乗用車が停まっており、その回りを報道関係者が取り囲んでいる状況が見えた。そこで、本件警察官らは、ホテル正面玄関を経由して右駐車場内へ向かった。
(2) 若林は、右駐車場内において、報道関係者に取り囲まれて停車していた原告の乗用車の助手席側から同車のボンネットに飛び乗って運転席側に降り、他の警察官らと共に、運転席に座っていた原告に対し、閉まっていた窓越しに、車から出てくるように指示した。原告は、若林に対し警察手帳の提示を求め、若林から運転席窓越しに警察手帳を示されるなどした後、同車から降りた。なお、同車には、原告を取材していたテレビ会社の関係者が同乗し、この前後の状況を原告の動作、表情とともにビデオカメラによって撮影していた。
原告が降車すると、その回りに報道関係者が詰め寄せ、フラッシュをたいて写真を撮影したり、大声で怒鳴り合うなどの混乱状態となった。若林は、このような状況で原告に手錠をかけるなどの逮捕手続をとることは適当ではないとして、他の警察官と共に原告をとり囲むようにして歩き、同ホテル内にある事務室へ入った。
(3) 若林は、右事務室内において、同日午後一一時二六分ころ、原告に対し、逮捕状を示して逮捕手続をとった。原告は、その場で手錠と腰縄をつけられた。
本件警察官らは、その後、同ホテル内のロビー及び正面玄関付近に集合していた多数の報道関係者らが警視庁からの応援依頼を受けて到着した築地警察署警察官らによって整理されるのを同事務室内において約三〇分待った後、原告に手錠をしたまま右事務室を出た。同ホテルのロビー及び正面玄関付近には警察官らによる整理線が作られており、原告を連れた本件警察官らは、右整理線内を歩いて同ホテル正面玄関を出て、右玄関前車道上に駐車していた護送車両に原告を乗車させた。
(4) 護送車両は、同ホテル前を発進しようとした際、車内を撮影しようとする報道関係者が車の回りに押し寄せて来たため、警察官が車両前方を整理しなければならなかった。
(三)(護送の状況等)
(1) そして、護送車両は、前方及び後方のパトカー各一台にはさまれて、翌同年九月一二日午前〇時ころ、警視庁に向けて同ホテル前を出発した。
前方のパトカーには警視庁捜査一課の鈴木警視が乗車していた。鈴木は、警視庁との間で無線連絡を取りながら護送車両を先導しようとしたが、そのころ警視庁から、警視庁前に報道関係者が多数集合しており、その整理をするには三〇分程度を要し、それまでは護送車両が警視庁内へ入ることができないとの連絡を受けたため、時間調整のために護送車両をうかいさせることとし、午前〇時五分ころ、警視庁にその旨の連絡をした。
(2) パトカーは、護送車両を先導して、中央区銀座の銀座東急ホテルから晴海通りに入り、銀座四丁目の交差点をいったん同区京橋方向に向かった後再び晴海通りに戻り、千代田区霞が関の祝田橋交差点から内幸町方向へ向かい、溜池交差点から六本木通りに入り、六本木交差点を抜けてこれを高樹町ランプ付近まで来たところ、警視庁から、警視庁へ向かってもいいとの連絡を受けたので、同ランプから首都高速三号線に入り霞が関ランプでこれを下りて桜田通りに入り、霞が関一丁目交差点から桜田門方向へ向かって、午前〇時三〇分ころ警視庁副玄関前に到着した。この間、相当数の報道関係者の車が護送車両を追尾したり平行して走行し、護送される原告の様子を取材しようとした。
(3) 本件逮捕現場である銀座東急ホテルから警視庁までは直線距離にして約一、五キロメートルであり、通常であれば、同ホテルから警視庁まで車で走行するのに要する時間は一〇分程度であったが、右のようなうかい措置をとったため、護送車両が警視庁に到着するまでには約三〇分を要した。
(四)(警視庁前の報道関係者の状況)
(1) 他方、警視庁副玄関入口(別紙図面①)前のフェンス(別紙図面②)前及び地下駐車場入口(別紙図面③)前付近には、原告が逮捕されることを予想した報道関係者が多数集まっており、その数は、同月一一日午後八時ころはフェンス前に約一〇〇名、地下駐車場入口前に約八〇名程度であったが、午後一〇時三〇分ころにはフェンス前に約二〇〇名、地下駐車場入口前に約一五〇名程度となり、本件逮捕手続が行われた午後一一時三〇分ころにはフェンス前に約五〇〇名となった。
警視庁においては、通常、被疑者等が車両で引致される場合には、地下駐車場入口を利用して警視庁内へ入っており、それまで副玄関から被疑者を引致することはあまりなかった。しかし、警視庁広報課の警部であった笹森一二(笹森)は、地下駐車場入口は入口前の歩道の幅が狭く、進入路が急な下り坂になっており危険であること、また、従前、被疑者を引致した車両が同入口から進入しようとしたところを報道関係者らに取り囲まれて混乱が生じた経験があることなどから、本件のように多数の報道関係者が集合していた状態にあっては、原告を引致する護送車両が警視庁内に入るに当たり地下駐車場入口を利用することは適当でないと判断し、フェンス前の歩道の幅が広く、多数の報道関係者を整理するには最も適していると考えられた副玄関入口を利用して原告を警視庁内に引致させることとした。
(2) そこで、笹森は、報道関係者がフェンス前の歩道上に集合している状態では護送車両が警視庁内に進入することができないので、報道関係者を警視庁敷地内に入れて整理することとし、招集した約五〇名の警察官に整理に当たらせた。しかし、報道関係者が続々と敷地内に押し寄せてくる状態であったので、笹森は、捜査一課に対し、報道関係者の整理が終わるのに三〇分はかかるとの連絡を行い、翌一二日午前〇時五分ころ、同課から了解したとの返答を受けた。
そして、笹森らは、集合していた報道関係者を警視庁敷地内に入れ、フェンス付近から副玄関入口までの通路となるように二本のロープを引いて、これを警察官が持ち、押し合う報道関係者らがはみ出さないように右ロープの外側に並ばせるよう整理した。報道関係者は右ロープの両外側にぎっしりと並ぶような状態であり、後方のカメラマン等は脚立を使うなどしていた。右ロープにより作られた通路の幅は約五メートルで長さは約二五メートルであった。
(3) 報道関係者は、笹森ら整理に当たった警察官らに対し、原告の到着時刻や原告を歩かせるのかどうかを尋ねたり、報道関係者同士で、「もっと頭を低くしろ。」とか「下がれ。」、「しゃがめ。」などと言い合うなどし、騒然とした状態であった。
そのため、笹森は、興奮状態にある報道関係者を落ち着かせるため、報道関係者らに対し、ハンドマイクを使って護送車両の到着が午前〇時三〇分ころとなる予定であると述べ、さらに、護送車両が到着後に停止する予定であるとの地点を示した上、右地点辺りから原告をゆっくり歩かせるなどの説明をした。
(五)(護送車両の警視庁到着ころの状況)
(1) 護送車両は、同日午前〇時三〇分ころ、フェンス付近に到着し、先導車が停止したのに続いて停止したところ、付近にいた報道関係者が護送車両に殺到して護送車両を取り囲んだので、付近に待機していた警察官が車両前方を整理して誘導し、右フェンスのある入口から警視庁敷地内へ入った。このとき、先導車は警視庁敷地内へ入らなかったが、車内にいた若林は護送車両を取り囲んだ報道関係者による人垣のため、この様子を把握することはできなかった。
(2) 警視庁内へ入った護送車両は、数メートル進行した後、ロープによって作られていた通路内で停止した。若林は、副玄関入口の階段付近まで右通路が作られ、その両側に数百人の報道関係者が集合しているのが見えたため、そのまま護送車両を進行させた場合には、報道関係者が写真撮影等のため護送車両に近づこうとして右整理線を突破してくるおそれがあり、そうすると多数の報道関係者が混乱状態となって、報道関係者や整理に当たる警察官らに事故が生じる可能性があり、また、右フェンス付近及び前記銀座東急ホテルから出発しようとした際のごとく、護送車両の回りに報道関係者が押し寄せる状態となれば、報道関係者が護送車両を叩いたり乗りかかったりして護送車両及びその内部にいる原告らにも危険が及ぶ可能性があると思い、これらの危険が生ずるのは、報道関係者が逮捕された原告の写真撮影等を行おうと必死になり、護送車両に少しでも近づいて窓越しの撮影を行おうとするからであると考えて、護送車両から降車して歩くのであれば写真撮影等もある程度離れたところから行うことが可能であるから、報道関係者が殺到して前記のような混乱、危険が生ずる可能性が少ないものと判断した。
そこで、若林は、原告に対し、護送車両から降車することを告げ、自らも護送車両から降車した。原告は、同乗していた若林らが護送車両から降車したので、やむなく続いて降車した。
(六)(連行の状況)
若林は、その右手を原告の左手と手錠でつないでおり、原告を護送車両から下車させて、自らが原告の左側、護送車両に同乗していた他の三名の警察官が原告の前後及び右側に位置し、原告を取り囲むようにして、原告を同降車地点から副玄関入口まで約四〇秒間比較的ゆっくりと歩かせた。その際、原告の頭や腕に毛布等をかけて原告の顔や手錠を隠すようなことはしなかった。
原告が右降車地点から副玄関入口までの約二五メートルを歩く間、報道関係者は、次々とフラッシュをたいてその様子を写真撮影し、また、テレビカメラでもその様子を撮影した。
その際、報道関係者は興奮した状態となっており、ロープから身を乗り出して写真撮影等しようとする者もあった。しかし、警察官がこれを押し止めるためにロープを押さえて踏ん張っており、また、ロープを乗り越えようとまでする者もなかったので、ロープが押されて通路の幅が狭まるようなことはなかった。
なお、ロープを押さえていた警察官は全員、腰をかがめて、報道関係者の写真撮影を妨害しないような低い姿勢をとっていた。
(七)(護送車両)
護送車両はレンタカーであったが、本件の後、その前後部のボンネット表面に傷がついたり、後部側面に一か所くぼみができるなどの損傷があったことがわかった。
2 以上の事実から本件護送、連行行為について検討する。
犯罪の嫌疑を受けて逮捕された被疑者であっても、被疑事実について起訴されて有罪が確定するまでは無罪の推定を受けるものであり、その人権が不当に侵害されてはならないことは当然であって、逮捕手続に関連する取扱いについても、被疑者の人権に対する配慮がされるべきであることは明らかである。
そこで、これを本件について見るに、本件警察官らは、逮捕された原告を警視庁本部に引致するに当たり、警視庁入口周辺に集合していた多数の報道関係者を整理して道路を作り、その準備が整うまでの間護送車両をうかいさせて時間調整を図った上、準備が整った右道路に護送車両を進入させたものの、右通路入口付近で原告を護送車両から下車させ、顔や手錠を隠すこともなく、報道関係者の人垣に挟まれた右通路をゆっくりと歩かせ、その間、報道関係者による写真撮影等が行われるままにさせたというのである。
右の連行状況をみると、原告は、これによってマスコミひいては国民の前にさらし者にされたものといわざるを得ず、本件警察官らによるこのような取扱いは、無罪の推定を受けるべき被疑者の人権に対する配慮を払ったものということは困難であり、このような連行方法を取ったことにつき合理的理由が見いだせない限り、本件のような連行行為は原則として違法となるものといわざるを得ない。
3 被告は、本件警察官らは護送車両が警視庁内に進入した際、多数の報道関係者が護送車両を取り囲んで騒然となり、原告、報道関係者及び警察官等の生命、身体に危害が及ぶなど不測の事態が生じるおそれがあったため原告を護送車両から降車させて、報道関係者が飛び出すなど原告の身体に不測の事態が生ずることを考慮し原告を取り囲むようにしながらロープによる通路を歩いて副玄関入口まで連行したものであり、このような状況の下においては本件警察官らの原告に対する右取扱いには何ら違法な点はないと主張し、右のような連行方法を取ったことにつき合理的理由があるとする。そして、証人若林は、これに沿う証言をする(証人若林二四〜三一、五三〜五九、六六〜六八頁)。
確かに、前記1(一)のとおり、本件逮捕当時は原告に対する取材合戦が過熱化し、原告に関する報道に対して国民の注目が集まっていたころであり、原告の逮捕を目前にしたマスコミはもとより、マスコミによる「ロス疑惑」報道に刺激された国民全体が興奮状態に陥っていたともいえる異常な状況であったから、本件警察官らが、そのような状況の下で興奮した多数の報道関係者が集合する現場に原告を連行するに当たり、何よりもまず原告と報道関係者等の生命、身体に危険が生じることなくスムーズに原告の護送、連行が行われることを念頭において本件逮捕に伴う一連の措置を取ったことは、それなりに理解できないものではない。すなわち、原告を警視庁本部庁舎へ連行するために本件警察官らが取った措置をみると、前記認定のとおり、警視庁前付近には多数の報道関係者が集合しており、そこへ護送車両に乗車させた原告を連行するためには報道関係者を整理する必要があったことが認められるから、そのための所要時間を確保するために護送車両をうかいさせたこと自体を非難することはできないし、また、護送車両が警視庁へ到着した後に原告を降車させて歩かせることとした若林の判断も、これが東急ホテル前等で報道関係者が護送車両の回りに押し寄せて来た経験等を踏まえて行われたものであることを考えると、前記認定のとおり興奮した報道関係者が集合する現場における窮余の措置として行った個人の判断としてはそれなりに理解できるというべきである。
しかしながら、本件逮捕の前日には原告に対する逮捕状が発付されていたのであるから、早晩右逮捕状を執行することは警視庁の担当部署において予め予定していたはずであり、しかも本件事件については従前からマスコミによる大々的な報道が行われ、本件逮捕当時には報道関係者の原告に対する取材合戦が過熱化していたことも警視庁において把握していたものというべきであるから、原告を逮捕すれば、逮捕現場や連行現場に報道関係者が集合して混乱が生じる蓋然性が高いことも十分予測できたというべきであり、また、予測しなければならなかったというべきである。そして、そうであれば、警視庁としては、報道関係者が多数集合して混乱が起こることが予想される警視庁本部庁舎ではなく、原告を連行しやすい周辺の警察署を連行場所として用意することや、警視庁本部においても予め相当数の人員を配置して報道関係者の整理に当たらせるように準備し、護送車両ごと副玄関入口へ乗りつけ、あるいは地下駐車場入口又は出口から警視庁内へ直接進入することなどが考えられたのであり、そのような手段を講ずることによって、本件のような連行方法を取ることなく、原告が報道関係者の前にさらされる事態を避け得たものというべきである。
そうすると、本件警察官らが本件の護送、連行方法を取ったことは、本件逮捕後警視庁本部庁舎に連行するという前提に立つ限りにおいては当該現場の判断として致し方ない面があったとしても、本件警察官らを統率する警視庁としては、原告を護送、連行するに当たり、原告の人権に配慮して、本件のように報道関係者の前に原告をさらし者にするという事態を避ける護送、連行方法を検討すべきであったというべきである。それにもかかわらず、前記認定のような護送、連行方法を取らざるを得なかった合理的理由は、本件全証拠によっても、護送車両を副玄関に進入させるために報道関係者を規制するに足りる人数の警察官を深夜に急に集合させることが困難である(証人笹森)という事情以外には見い出すことができず、右事情も本件の護送、連行方法を正当化するに足りる事情ではない。
したがって、結局、本件護送、連行行為には原告の人権を侵害した違法があったものというべきである。
二争点2(時効の成否)について
1 証拠(<書証番号略>、原告本人)によれば、本件逮捕の後、原告が東京弁護士会に対して行った人権救済申立ての経過等は次のとおりであったことが認められる。
(一)(本件逮捕、連行後の状況)
原告は、昭和六〇年九月一一日深夜から翌一二日未明にかけて行われた本件逮捕、連行の際、さらし者にされたという思いや屈辱感、不快感等を感じたものの、逮捕されればそのような扱いを受けても仕方がないという認識もあったので、自己の刑事事件について相談していた弁護士等にも法的な救済手段があるかどうかなど尋ねたことはなかった。
また、原告は、本件連行の際に原告の周囲にいた警察官につき、その後に取調べを受けた際に名前を名乗った若林については名前を把握しており、他の警察官についても名前は正確には分からなかったものの、それぞれの容貌は認識していた。
(二)(人権擁護委員会への申立て)
原告は、その後拘置所に勾留中、知り合いとの文通により、弁護士会に人権侵害についての救済申立てを行うことができることを知った。
そこで、原告は、昭和六二年八月一五日付申立書により、東京弁護士会人権擁護委員会に対し、本件逮捕の前後を通じた原告についての報道活動及び刑事裁判についての報道活動による人権侵害に加え、本件連行行為が警察によるみせしめ的なものであったとする人権侵害につき、人権救済を申し立てた。
(三)(同委員会による調査活動)
同委員会は、原告の右申立てを検討し、その調査能力等を考慮して原告とも調整した上、本件逮捕に伴う連行方法及びこれに関する報道に絞って調査活動を行うこととした。
そして、同委員会に所属する三名の弁護士が実際の調査を担当し、原告本人に対する事情聴取を行うと共に、報道機関二社に対して協力を依頼し、警視庁に対しても弁護士会を通じた正式な照会書を発した。また、新聞、雑誌、テレビ、国会会議録等についても広範囲の調査活動を行った。しかし、報道機関二社からは協力できないとの回答があり、警視庁からもごく簡単な内容の回答があったのみであった。
(四)(同委員会の判断)
同委員会は、右調査結果を踏まえて検討した結果、本件護送、連行行為は原告の人権を侵害するものであるとの結論に達したので、平成三年三月二五日、警視庁に対し、「本件逮捕、連行行為は本件申立人(原告)を不必要に公衆の面前にさらし、その基本的人権を侵害したものであり、今後、被疑者の逮捕、引致にあたってはその基本的人権及び非人道的取扱いを禁ずる国際人権原則に十分留意され、いやしくも本件のように『さらしもの扱い』にするが如き行為のないように十分な配慮を求めて警告する。」旨の警告書を送付した。
2 そこで、被告が主張する消滅時効の援用について検討するに、原告により本訴が当裁判所に提起されたのは平成三年六月一四日であり(顕著な事実)、本件逮捕、連行行為が行われたのは昭和六〇年九月一一日から同月一二日にかけてである。そして、前記1(一)のとおり、原告は、本件逮捕、連行行為の際にさらし者にされたという屈辱感を感じ、また、右行為を行った警察官らについても、その容貌及び一部の者の名を知っていたというのであるから、当該行為時点ころには自らが受けたとする損害及びその加害者を認識していたというべきである。したがって、原告の損害賠償請求権は既に時効により消滅している。
もっとも、原告は、消滅時効の起算点である「損害及び加害者を知りたるとき」(民法七二四条)とは、加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況の下で賠償請求が可能な程度に損害及び加害者を知ったときであるとし、本件は公的機関である弁護士会人権擁護委員会が違法であるとの判断をするまでは違法であるかの判断が困難だったのであるから、右時点をもって、賠償請求が事実上可能な状況が到来したものというべきであると主張する。
しかしながら、本件は、原告が本件警察官らにより連行されるという事実行為が行われた際に、原告が右行為によってさらし者にされたという屈辱感等を感じたことについて賠償を求めるものである。そして、原告は、本件行為時点において自らが受けたとする損害を認識していたというべきであり、かつ、本件行為の加害者が警視庁所属の警察官らであったこと及び各人の容貌や一部の者の名前を認識しており、その姓名を具体的に知らなくても賠償請求の相手方を具体的に特定して認識することができたものというべきであるから、原告が民事訴訟を提起し、相手方の違法な行為によって損害を受けたと主張し、右主張について司法判断を求めることが可能であったことは明らかである。
したがって、本件逮捕、連行行為当時には、原告において損害賠償請求が事実上可能な状況が到来しているとみるのが相当であり、原告の右主張は採用できない。
三以上によれば、結局、原告の本訴請求は理由がないこととなるので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮﨑公男 裁判官林圭介 裁判官河合覚子)
別紙